ストーカー本人の相談Consultation of stalker
男と女の別れはつらいものです。
1度2度は、電話をしたり手紙をかいたり・・・この様な行為に、私は司法や医療は口をはさむ必要は少ないと思います。
しかし、それも頻回に繰り返すようになると、話しはちがってくると思います。
写真は明治の文豪である尾崎紅葉の「金色夜叉」貫一とお宮の像です。
貫一はお宮と結婚の約束をしていました。しかし結婚を間近にしてお宮は300円のダイヤモンドを持つ大富豪と結婚します。激怒した貫一は、熱海の海岸でお宮に「今月今夜のこの月を、来年も再来年も10年後も、一生を通して僕は忘れない・・・忘れるものか・・死んでも僕は忘れない。来年の今月今夜になったら、僕の涙で月を曇らせてみせる・・・貫一は何処かでお前を恨んで今夜のように泣いているんだ・・・・」と吐き捨て、お宮を足で蹴落とします。そして金色に輝く小判に狂った夜叉のような金貸しに貫一は変わり、その後にお宮と絡む有名な「金色夜叉」が始まります。
若かりし頃の私は、「金色夜叉」を初めて読んだとき、貫一に思わず「もっとがんばれ」と声援をおくったものでした。
しかしもう一度この写真をよく見てみると像の右すみにきたならしい落書きが・・・・
拡大して見ると、「この像は明治時代の新聞連載小説、尾崎紅葉著「金色夜叉」の主人公の貫一とお宮の切ない別れを再現したものです。二人の心の擦れ違い、愛情、悲しみが詰まった象徴的な場面であるため、物語を忠実に再現したもので決して暴力を肯定したり助長するものではありません。是非この小説をご一読いただき、二人の心情や当時の世相に思いを馳せていただけましたら幸いです。」
そうか再度考えると、貫一はDV男か・・・
いやいや、来年も、再来年もと言うところを考えると、ストーカー男か・・・・・
2020年の東京オリンピックをひかえた熱海に、この様な男尊女卑の像があっては外人の旅行客がこないと熟考して、市が2016年3月にこの名文をあわてて像にくっつけたそうです。確かに読みが深い!
しかし、今日まで、残念な事に一度もこの像に対する外国人のクレームはありませんでした。やっぱり名文でなくて、単なる落書きだったのか!
ようするにこの手の話は判断が難しいということか!
私が思うに男と女の別れにどちらかが聖人で一方的に正しくて、他方が極悪人という構図が成り立つのか疑問を感じます。当院は警察でもなければ、まして裁判所でもありません。
どちらかが聖人で、極悪人かということには、全く関心はありません。
貫一はお宮へのうらみを持ったまま、夜叉のような血も涙もない金貸しになり、そして変容していきます。
当院はあなたが血もなみだもない金色夜叉の様な金貸しとして一生を終える事に不安があるようでしたら、お手伝いできると思います。
「ミラボー橋」
ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
われらの恋が流れる
わたしは思い出す
悩みのあとには楽しみが来ると
日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る
手に手をつなぎ顔と顔を向け合おう
こうしていると
われ等の腕の橋の下を
疲れたまなざしの無窮の時が流れる
日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る
流れる水のように恋もまた死んでいく
恋もまた死んでいく
生命ばかりが長く
希望ばかりが大きい
日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る
日が去り、月がゆき
過ぎた時も
昔の恋も 二度とまた帰って来ない
ミラボー橋の下をセーヌ河が流れる
詩集「アルコール」(1913)収録 「ミラボー橋」アポリネール
堀口大學訳
画面中央にミラーボー橋があり、中央の男性がアポリネール、その目の大きい男がパブロフ・ピカソ、そして画面右端のブルーの服がマリー・ローランサン
アポリネールとその友人たちの1909年 パリ国立近代美術館
※セーヌ川よりミラボー橋を望む
1907年に出会ったローランサンと詩人アポリネールは熱い恋に落ちるも、アポリネールがモナ・リザ盗難事件に巻き込まれたことで引き裂かれてしまう。その想いを綴った詩が、「ミラボー橋」である。